階段を上ると、木の扉が。
その扉を開けて、中に入って行くと
お墓があります。
難しい字で読めません。
調べてみると、200年くらい前に江戸湾、
今の東京湾を守るために
会津藩から観音崎の台場や腰越の陣屋にきた人
だとわかりました。
自分の生まれたところから遠く離れた鴨居まで来て、
ここでなくなった方がいたのです。
お墓の向かい側に上の台中学校があります。
上の台中学は、建てられてから20年というまだ
新しい学校です。
建てられる前には、そこに大昔の遺跡がありまし た。上の台遺跡といいます。
ここにすんでいた人のことは、横須賀市自然・人文博物館でしらべられます。
現在、上の台中学校には発掘された当時の土器などが展示されています。
上の台中学校の正門前には、能満寺というおおきな
お寺があります。
今から400以上昔、三浦半島を納める代官としてやってきた長谷川七左衛門と言う人が開いたそうです。この寺にも会津藩からきた人たちのお墓がありました。
鴨居と会津藩とは、ずいぶん関わりが深いと分かります。(江戸時代の観音崎・鴨居)
鴨居から浦賀にかけて開発が進み、臨海団地、和光台団地など団地が続いています。
団地の中には、ローラー滑り台のあるローラー公園や虎のおきものがある虎公園などたくさんのこうえんか゜あります。
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