腹切り松公園 | |||
大矢部住宅街の中ほどに公園があり、その片隅に「大介腹切松跡」と伝えられる石碑がたっています。 この地は、治承4(1180)年8月26日、源頼朝の源氏再興に味方した三浦一族が、当時、平氏方に属していた武蔵国の武将である江戸重長・河越重頼・畠山重忠・金子家忠等の率いる3千騎の大軍に攻められ、翌27日、三浦氏の拠点衣笠城は落城し、三浦一族は房総の地に逃れると云う衣笠合戦の際、三浦一族の家長である三浦大介義明(当時89歳)は、衣笠城と運命を共にしましたが、云い伝えによれば、大介は城より戦い逃れ、祖先の霊の眠る円通寺(現在海上自衛隊弾薬庫の処にあった)を望むこのあたりの松樹の下で割腹自害を遂げ、武名を後世まで遺したと云われています。 また、源氏再興に成功した源頼朝は、三浦大介の誠忠を高く評価し、彼の死後14年目の建久5年、大介の菩提を弔うため、堂宇の建立を命じました。それが満昌寺の創建とも伝えられています。かつて、ここに一樹の古松があって、大矢部の里人は大介腹切の松と称し、その由来を大切に伝えていました。現在周囲は宅地化され、腹切松公園として整備されています。 今は二代目の松(樹齢約40 年)が植えられています。 |
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